幻の名曲「ユーゴスラヴィア」復活同盟

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 この同盟は、

 ★幻の名曲「ユーゴスラヴィア」を復活してほしい!

という方のための同盟です。リェーナがТАТУ結成前に歌った「ユーゴスラヴィア」の復活を望んでいる方、同盟に入っていただけると嬉しいです♪
 管理人はТАТУファンで、リェーナの歌での「ユーゴスラヴィア」の復活を願ってますが、「ユーゴスラヴィア」の復活を望んでいる方なら、ユーリャ派でもリェーナ派でもそれ以外派でも、またТАТУファンであってもなくても(「ズヴェーリに歌ってほしい!」とか「自分が歌う!」とかでも)OKです。

 同盟掲示板を作りました。同盟に参加してくださる方は、足跡を残してくださると嬉しいです。また、HPを持っている方は、HP上に同盟のバナーを置いてくださると嬉しいです。バナーは、


Спасибо KGCさん!

Спасибо せいたろうさん!

を用意しています。もっと別のがいい方は自分で作っていただいても結構です……というか、積極的に作っちゃってください^^; そしてできれば↑の公式バナーの中に加えさせてください^^;;; また、
http://tatu.lovelove.jp/yugore.html
にリンクをはってくださると嬉しいです。

mp3
http://tatulife.kulichki.net/download/yugoslavia.mp3
http://www.tatu.fatal.ru/Yugoslavia.mp3

歌詞
ロシア語(キリル文字)
ロシア語(ローマ字)
ロシア語(カタカナ)
発音・単語解説付き日本語対訳
日本語訳(Спасибо T-T.Nさん!)
日本語訳(直訳。原文解読の助けに。)
英訳(英語苦手な管理人の訳^^;)

 幻の名曲「ユーゴスラヴィア」について

 1998年、アレクサンドル・ヴォイチンスキーは、友人のイヴァン・シャポヴァロフと共に、とある音楽プロジェクトを始めました。二人はなけなしのポケットマネーでキャスティングを行い、児童軽音楽グループ「ニェポシェードィ」のメンバーで、作曲家の娘のエレーナ・カーチナ(リェーナ)を見い出します。
 しかし、ヴォイチンスキーとシャポヴァロフの音楽プロジェクトは、資金不足もあり、なかなか進みませんでした。そんな最中の1999年3月、アメリカを中心としたNATO軍は当時のユーゴスラヴィアに対する空爆を開始、当時ユーゴの首都ベオグラードに住んでいたヴォイチンスキーの兄弟姉妹は空爆で死んでしまいます。
 ヴォイチンスキーはこの悲劇を元に「ユーゴスラヴィア」という曲を作りました。歌うのはリェーナ・カーチナ。しかし、リェーナの歌う「ユーゴスラヴィア」は、聴衆に届けることができませんでした。
 その後、プロジェクトの主導権はシャポヴァロフに移ります。歌手として新たにユリヤ・ヴォルコヴァ(ユーリャ)を加え、プロジェクトは「ユーゴスラヴィア」とは全くイメージの異なった「ТАТУ」プロジェクトになっていきます。2000年9月にロシアでデビューしたТАТУは、その後世界に進出していきますが、その一方でヴォイチンスキーはプロジェクトを離れます。
 幻の歌となってしまった「ユーゴスラヴィア」ですが、その後、ヴォイチンスキーへのインタビューでBGMとして使われ、その断片が世に現れます。それは、人の心を強く打つものでした。

 NATOのユーゴ空爆は1999年6月に終わり、ユーゴスラヴィアという国名も2003年には過去のものとなりました。しかし、失われた命は二度とは戻らず、空爆の爪痕は今なお残っています。そして何より、ユーゴ空爆と同様の、超大国の理論による理不尽な悲劇は、今でもこの地球上で起こっているのです。
 「ユーゴスラヴィア」は、そのような今の世界に必要な歌と言えるでしょう。単に過去の悲しみを歌った歌としてだけではなく、現在の問題をも突きつけている歌として。


 幻の名曲「ユーゴスラヴィア」について(フルヴァージョン発見前版)

 「悲しいまでに美しい」とか、「美しいまでに悲しい」とかいった言葉がある。この「Югославия (Yugoslav'iya、ユガスラーヴィヤ)」(ユーゴスラヴィア)という歌は、その言葉の意味を、残酷なまでに教えてくれる。
 リェーナがt.A.T.u.以前に歌ったこの歌は、後のt.A.T.u.における数々の歌とは全く違った、悲しい歌である。この歌は、ヴァーニャ・シャポヴァロフと共に後のt.A.T.u.プロジェクト(開始は1998年頃?)を始めたサーシャ・ヴォイチンスキーによるものであるが、彼の兄弟姉妹はその時、当時のユーゴスラヴィアに住んでいた。しかし、1999年、NATOがユーゴスラヴィアを空爆した時、ベオグラードの橋の上にいたサーシャの兄弟姉妹の上に爆弾が落とされ、彼らは死んでしまう。その時サーシャが作ったユーゴスラヴィアについての歌が、この「Югославия」である。
 正確には、t.A.T.u.の歌自体にも、どこか哀愁を伴った悲しげな側面はある。しかし、「Югославия」という歌に漂う悲しみは、後のt.A.T.u.の歌、あるいはその他悲しみを歌った多くの歌にあるような、いわゆる「もののあはれ」のようなものとか、あるいは人情とかいったものを心得えていないと分かりにくいような、ある意味技巧的な悲しみではなく、そのようなものよりももっともっと純粋な悲しみである。
 この「Югославия」という歌は、ロシアSTSテレビがサーシャに対して行ったインタビューで、半分BGM的に流されたことがあるが、今のところそれが「Югославия」に触れることのできた唯一の機会のようである。このインタビューの動画ファイル、もしくは明らかにこのインタビューから取ったと思われる「Югославия」の断片のファイルはネット上で入手できるが、それらがこの歌を聴けるほぼ唯一の方法のようである。
 「Югославия」という歌は本当に美しい。しかし、その限りない美しさの背後には、限りなく悲しい現実がある。この歌は、例えロシア語が聞き取れなくても、あるいは少しは聞き取れるが歌詞の直接の内容を理解するに至らなかったとしても、その悲しみを静かに示してくれる。


ユーゴスラヴィア略史

 ユーゴスラヴィアはヨーロッパ南東のバルカン半島、イタリアからアドリア海を挟んで対岸にあった国です。

1918: 第一次世界大戦の戦後処理の中で、多分に人工的な国として生まれる。三つの宗教と五つの民族を抱える複雑なモザイク国家であった。当初の国名は「セルブ・クロアート・スロヴェーン」(セルビア人とクロアチア人とスロヴェニア人の国)。後に「ユーゴスラヴィア」(南のスラヴ人の国)に改称。
〜1945: ろくでもない国王の下、不安定な政治が続く。第二次大戦中は枢軸国に占領され、そのような中で虐殺が起こる。
1945〜1980: 戦後は東側諸国の一員として再出発するが、すぐにスターリンと絶縁。以後、非同盟諸国(アメリカ寄りでもソ連寄りでもない国々)の雄となる。独裁体制ではあったが、東欧の中では最も開放的だった。国内もそれなりに平穏だった。
1980〜: 徐々に国内が不安定になっていく。
1991〜: 内戦勃発し、旧ユーゴスラヴィアは崩壊、隣人同士の血みどろの殺し合いが続く。
1992: セルビアとモンテネグロによる新ユーゴスラヴィアが生まれる。
1999: NATO、新ユーゴスラヴィアを空爆。「ユーゴスラヴィア」という歌はこれに関係したもの。
2003: 新ユーゴスラヴィア、「セルビア・モンテネグロ」に再編。ユーゴスラヴィアという国名は消滅する。


新ユーゴスラヴィア(1992-2003)のデータ

首都: ベオグラード
民族: 主にセルビア人 (南スラヴ系の民族。東スラヴ系のロシア人とは親戚関係)
言語: 主にセルボクロアチア語 (南スラヴ系の言語。東スラヴ系のロシア語とは互いによく似ている)
宗教: 主にキリスト教の正教 (ロシアも主に正教)

同盟主催HP
t.A.T.u.@ロシア語 - Я ТВОЯ НЕ ПЕРВАЯ -

同盟主催者
>Kaeul P. Aki